理由が良く分からない彼女の不機嫌を直す方法
女性の理由が良く分からない不機嫌というのは、結構出くわすのだが、男性にとっては、かなり面倒くさいものだ。恋愛というのは、ある意味主導権の取り合いである。だから一度しっかりと、自分の価値観を教育することが必要になる。そうしないと、いつまでも振り回される関係が続くことになり、関係を維持できなくなってしまうことになるものだ。(内田游雲)
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内田游雲(うちだ ゆううん)
ビジネスコンサルタント、経営思想家、占術家。静岡県静岡市に生まれる。中小企業経営者に向けてのコンサルティングやコーチングを専門に行っている。30年以上の会社経営と占術研究による経験に裏打ちされた実践的指導には定評がある。本サイトは、恋愛をテーマにしている。他にも、この世界の法則や社会の仕組みを理解しスモールビジネスの経営を考える「気の経営」や運をテーマにしたブログ「運の研究-洩天機-」を運営している。座右の銘は 、「木鶏」「千思万考」。世界の動きや変化を先取りする情報を提供する【気の経営(メルマガ編)】も発行中(無料)
女性の理由が良く分からない不機嫌という場面は結構出くわすし、男性にとってかなり面倒くさいものだ。
男性からすれば、ほんと勘弁してほしいものだ。
デート中に急に不機嫌になる
しかし、そんな時に放っておいたらますます機嫌が悪くなったり、
また
「なんかあったの?」
と聞く事でかえって機嫌が悪化したりもする。
その理由としては、基本的に女性の性質として
「言わなくても分かってほしい」
という気持ちがあるからである。
「なんかあったの?なんで機嫌が悪いの?」
と聞くと、
かえって
「なんで分かんないの!!」
と怒りに火を注いでしまったりする。
こうしたことは、最初のうちは可愛いと思うかもしれないが、何度もやられると、男性はさすがにげんなりしてしまうものだ。
最初に教育ができていない
これは、もう出会った最初の時に、教育できなかったことに原因がある。大事なことは、最初からなのだ。
恋愛というのは、ある意味主導権の取り合いである。
だから、最初に、しっかりとガツンとかますことが後々効いてくるものだ。恋愛の主導権争いは、出会った時からもう始まっているのである。
「どんなに親しくなっても、恋人同士でも、お互いに尊敬できない関係はダメ。」
「感情をぶつけ合っているのが恋愛なんて嘘だ。」
「お互いを尊敬しあい思い合うことが一番重要だ。」
「だから感情はぶつけてはいけない。」
「感情をぶつけるのは幼稚な証拠だ。」
まず、最初の段階で、こうした価値観を何度も刷り込んでおく。刷り込んでおくというと、難しそうの聞こるかもしれないが、会話の中に何度も出して、説明して納得させておくのだ。こうして、自分の考え方や価値観を相手にしっかりと伝えておく。
不機嫌に対する基本的対処法
もちろん、それでも体の関係ができて、恋愛関係が進んでいくと、甘えが出てきてイライラをぶつけてきたりすることもあるだろう。
その時は、一気に連絡を絶つ。
電話に出ない。
こちらから絶対に連絡しないようにする。
ただし、相手から頑張れば連絡が取れる方法を一つだけ残しておく。
Lineとかだ。
あとは、じっと我慢。
そのうち、相手から連絡が来るので、
(来るまで何日でも我慢すること)
「最初に言ったよね。感情をぶつけてはいけない」って
と、相手のミスを冷静に指摘する。
これで、二度と同じことはしなくなる。
結局のところ、最初に自分が何が嫌いかを明確に表現しておけば、こういうことはまず起きてこない。そこを、相手に気に入られたいがために、甘く接すると、こうしたことが起きてくるのだ。
そうなると、せっかくお互いの気持ちが近づいても、結局、恋愛は上手くいかないものになってしまうのだ。
えっ、そんな事いまさら言われたって遅い・・・
とりあえず何かを食べさせる
そんな時は、意外と簡単なのが、ご飯を食べさせることだ。
女性は満腹になって生命の安全が確保されていると、機嫌がよくなるという傾向がある。だから、空腹状態になるとイライラは、男性よりも強い。
あと、またイライラしている原因として、
「長時間歩いて足がいたい」とか
「疲れた」とか
そんなこと、口で言えばいいじゃん!!
てことが原因だったりもする。
そして、あなたにここを察して欲しかったりする。
「疲れた?休もうか?」
って声かけてあげたり、
「美味しいケーキ屋があるんだけど食べない?」
などと上手く誘導して、とにかく何かを食べさせるのだ。
こうすれば女性は、なぜか落ち着いてくるものだ。
ただ、これもいつまでも続けられないので、一度しっかりと、自分の価値観を教育することが必要になる。そうしないと、いつまでも振り回される関係が続くことになり、関係を維持できなくなってしまうことになる。
まずは、ぐっと我慢して、価値観を教育することである。